理念経営への違和感 ―創業者が理念を作る怖さ

生きて動く光が額縁に入れた途端に固まる、理念の形骸化を表す抽象イメージ|日本家業承継協会

先に立場を明かしておきます。私は理念経営を否定する人間ではありません。むしろ「理念経営はやるべきだ」という工程論者です。

それでも、創業者が自分で理念を言葉にすることには、強い怖さを感じています。今日はその怖さの正体を書きます。

言葉にした瞬間、固まってしまう

経営していた頃、私は理念を作りませんでした。当時、理念とは何かを知っていたわけではありません。ただ、言葉にしてしまってはいけないという直感だけが、はっきりとありました。

言葉化された瞬間に、それは形骸化する。自分の成長が、その言葉のサイズで止まってしまう。器も、能力も、人間力も、まだ動いている途中なのに、額縁に入れた途端に死んでしまう感覚です。

今では、あの直感は確信に変わっています。

創業者の本当の仕事は「自分が死んだ後」にある

では創業者は何をすべきなのか。

私の答えは明確です。自分が死んだ後でも、このサービスが、この概念が残るために何ができるか。それを考え抜くのが創業者の仕事です。

逆に言えば、自分が生きている間になくなってしまうような会社なら、話になりません。創業者の評価は、本人が退場したあとに決まります。

私が譲ったメインの会社は、血縁でも何でもない、私より優秀な後継者がいまも継続させてくれています。伸びているかは本人に確認していないので分かりませんが、「継いでよかった」と思ってくれているはずだと信じています。会社が残った——それだけで、私の創業者としての宿題は半分果たせたと思っています。

だから、創業者は「言葉を凌駕する存在」を目指すべき

理念を急いで言葉にする前に、創業者がやるべきことがあります。それは、言葉を凌駕するほどの存在になることです。

人間力が言葉を超えてしまった人のところには、言葉が後から勝手に集まってきます。理念は、その人が必死に「作る」ものではなく、その人の生き方から「にじみ出る」もの——本来はそういう順番のはずなのです。

この順番が逆になったとき、理念は二つの形で歪みます。ひとつは、商品として売られる理念。もうひとつは、後継者が本気で紡ぐべき理念。次の二記事で、それぞれ書いていきます。

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