「家業」とは何か ―意思決定の歪み

私たちは、あえて「事業承継」ではなく「家業」という言葉を使っています。今日はその理由を、できるだけ正直に書きます。
家業とは、意思決定の歪みである
私の定義はこうです。家業とは、意思決定の歪みである。——ただし、これは悪い歪みだけを指すのではありません。良い歪みも含んでいます。
普通の会社には、意思決定の場としての会議体があります。ところが家業では、これがなかなか成立しません。なぜなら、家業の意思決定はしばしば食卓で行われるからです。
その食卓では、いろいろなものが混ざり合っています。
- 会社の話なのか
- 家の話なのか
- 家のお金の話なのか
- 家族内のお金の話なのか
- 社員の成長の話なのか
- 商品の話なのか
これらがぐちゃぐちゃのまま、既得権益者の鶴の一声で、あるいは「創業者を一番分かっている人」の発言の強さで、決まっていく。これが家業の意思決定です。
それは、本当に「経営」なのか
では、それは会社なのか。結果として会社にはなっているので、会社ではあります。けれど実態は、株式会社というより共同体に近い。株式会社が本来持つべきテーマを、果たしきれていないことが多いのです。
家業の目的は、しばしば「個の尊厳」だったりします。誰かのエゴや、息子一人ひとりの意思決定で、お金が増えたり減ったりする。これを「経営ですか」と問われれば、いわゆる経済合理の意味での経営とは、正直かなり違うと答えます。
※ここで言う「経済」は、本来は経世済民——世を治め、民を救う——という思想に由来する言葉です。家業は、その理念型の経済とはまた別の論理で動いています。
影の部分から、目をそらさない
家業には、見過ごせない影もあります。
100人規模の会社であっても、そこで起きているのが「労働者の雇用」ではなく、血縁という理由だけで家族が低賃金の働き手にされている状態であることがあります。家族従業員が会社を訴えるのは難しく、株式会社であっても骨肉の争いは山ほどある。罠もある。
私が家業にこだわるのは、まさにこのドロッとした部分が、自分の最も得意な領域だからです。そして家業は、先祖崇拝・自然崇拝・地域への思いと地続きでもあります。そこへのまなざしがなければ、家業をやる意味がないと考えています。
「事業」ではなく「家業」。この一語に、私たちの世界観のすべてが入っています。
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