家業承継における専門家の活用[社会保険労務士編]

事業承継時に生じやすい人事・労務管理上の課題と、その解決策や留意点についてまとめたものです。家業承継に取り組む後継者や経営者、関係者の方々に向けて、労務リスクを回避しながらスムーズなバトンタッチを行うためのヒントをご紹介します。
1. はじめに:家業承継における“ヒト”の重要性
少子高齢化や経営者の高齢化が進む日本では、これから大規模な事業承継の波が訪れると言われています。中小企業庁のデータでは、2025年頃までに70歳以上の経営者が約245万人に達し、そのうち後継者未定が半数以上──いわゆる**「大承継時代」**です。家族経営や親族経営である“家業”においても、同様の課題を抱えるケースが増えています。
事業承継には、「モノ・カネ・ヒト」 という3つの要素がよく挙げられます。モノとは設備や在庫などの資産、カネとは資金繰りや金融機関との関係、そしてヒトとは従業員や家族も含めた労務管理全般を指します。
特に“ヒト”に関わる課題は、一度トラブルが起きると効果的なリカバリーが難しく、事業全体に深刻なダメージを与えかねません。従業員がこぞって辞めてしまったり、組織内のコンプライアンス問題が発覚したりすれば、家業そのものの存続を危うくする事態に発展することもあります。
こうしたリスクを未然に防ぎ、円滑な承継を進めるために重要な役割を果たすのが**社労士(社会保険労務士)**です。社労士は労働・社会保険の専門家として、経営者や後継者が見落としがちなポイントを的確に指摘し、リスクヘッジと改善策の提案が可能。ここでは、社労士の視点を取り入れながら、家業承継時にチェックすべき人事・労務の論点を整理してみましょう。
2. 家業承継で社労士が果たす役割とは
事業承継において社労士が関わる領域は多岐にわたりますが、大きく分けると以下のような役割が考えられます。
- 労働・社会保険手続きのサポート
- 後継者が代表取締役に就任する場合、雇用保険・健康保険・厚生年金などに関して事業所の登録変更や適用関係を見直す必要がある場合があります。
- 法人形態や人事異動に伴う就業形態の変更などが発生する際も、社労士が状況に合わせて最適な手続きを助言できます。
- 就業規則・賃金制度の再設計
- 親族が経営トップを務めてきた家業では「先代の口頭指示」で回してきた部分が多いケースがよくあります。これを機に就業規則を整備し、従業員にとって分かりやすいルールを定めることで、承継後の混乱を避けられます。
- 給与体系や評価制度があいまいだと、後継者の下で働くモチベーションが低下してしまう恐れがあるため、社労士が中心となって現状分析や改革支援を行うことが効果的です。
- 人事トラブルの予防と解決
- 承継のタイミングで、従業員とのコミュニケーション不足や待遇格差が問題化することがあります。社労士は労務相談の窓口として、経営者・従業員双方の声を聞き、紛争を未然に防ぐアドバイスを提供できます。
- 既にトラブルの兆候がある場合も、法的リスクを踏まえながら落とし所を提案し、後継者がスムーズに組織を引き継げるように調整を行うことが可能です。
- 働き方改革への対応や労務リスク管理
- 家業だからといって、労働基準法や各種社会保険の適用を逃れられるわけではありません。むしろ小規模事業では、法改正や働き方改革の潮流にうとく、気づかぬうちに違法状態に陥ることも少なくありません。
- 社労士の定期的なサポートがあれば、法改正や助成金情報をタイムリーに把握でき、リスク管理を徹底しながら承継後の組織運営を行うことができます。
3. 承継準備段階で見直すべき人事・労務項目
家業承継には長い時間をかけて準備を進めることが望ましいと言われます。では、具体的にどんな項目をどのタイミングで見直せばいいのか、代表的なものを挙げてみましょう。
3-1. 就業規則・雇用契約書の整備
- 就業規則は作成・届出が義務付けられるケースあり
労働基準法では常時10人以上の従業員を使用する場合、就業規則の作成と労働基準監督署への届出が義務付けられています。しかし、家業で代々経営してきた企業だと、実は義務を満たしていない、あるいは古い就業規則を放置している例が珍しくありません。 - 雇用契約書や労働条件通知書の再確認
従業員との雇用関係が曖昧になっていると、後々「こんなはずじゃなかった」というトラブルが起こりがちです。社労士と一緒に、全従業員の雇用契約書(または労働条件通知書)を改めて確認しておくと良いでしょう。
3-2. 賃金・評価制度の確認
- 親族経営ならではの給与・賞与の偏り
親族や古参社員が特別待遇を受けている一方で、新しい従業員との格差が大きいと、不満や離職につながる可能性があります。 - 承継後の賃金体系・昇給基準をどうするか
後継者が新たなビジョンを打ち出すなら、それに合った評価制度やキャリアパスが不可欠です。ここで社労士が制度設計をサポートすれば、従業員にとって納得感のある仕組みを構築できます。
3-3. 社会保険・労働保険手続きの再点検
- 経営者の変更に伴う手続き
社会保険や労働保険の事業主変更届が必要な場合があるため、後継者が代表取締役に就任したタイミングで、どのような届出をいつ行うかを確認しましょう。 - 従業員の区分見直し
家族従業員がいたり、パートタイマー・アルバイトが多い業種だと、労働時間によって加入義務が発生するケースがあります。法改正が進む中で、適用拡大が行われているため、要件を満たした従業員を社会保険に正しく加入させているかどうかチェックが必要です。
4. 後継者が知っておきたい労務トラブル事例
実際に家業承継で起こりやすいトラブルには、どんなものがあるのでしょうか。いくつか典型例を挙げ、その背景と社労士がどのように対処し得るかを見てみます。
4-1. 経営トップ交代による従業員の混乱
- 「方針が急に変わる」「指示が明確でない」との不満
後継者が社長に就任すると、新たな経営方針を打ち出すことが多いものです。その際、従業員への説明が不十分だと「やり方が急に変わって混乱している」「先代のやり方を否定された」と受け取られてしまいます。 - 社労士のアドバイス
- 新経営方針や人事制度の変更を就業規則へ盛り込み、従業員との合意形成プロセスを丁寧に行う。
- 変更内容を周知するための説明会や個別面談を実施し、労使トラブルを未然に防ぐ。
4-2. 親族経営と一般従業員の待遇格差
- 「一族だけ給与が高い」「昇進が早い」という不満
家業では親族が幹部を占め、一般従業員から見れば公平性に疑問が残るケースが少なくありません。特に次世代が急速に出世すると、周囲のモチベーション低下を招く恐れがあります。 - 社労士のアドバイス
- 人事評価基準や賃金テーブルをわかりやすく整備し、親族以外の社員にもキャリアアップの道筋を示す。
- 必要に応じて「特別職」という扱いをルール化することで、あいまいな優遇措置を排除する。
4-3. 定年再雇用・高齢者雇用問題
- 先代経営者が“顧問”として残る場合の処遇
後継者に経営を任せる一方、先代が顧問や会長職として居残ることは多いです。ただ、その報酬や役割がはっきりしないと「実質的に先代が指示を出し続ける」「新社長がやりにくい」状態になり得ます。 - 高齢従業員の雇用継続
60歳以上の従業員を多く抱える事業所だと、定年後再雇用の制度設計をどうするかが課題。年金制度や雇用保険の知識が必要であり、社労士との連携が極めて重要になります。
4-4. パワハラ・セクハラ等のコンプライアンス違反
- 家業特有の“身内感覚”がトラブルを助長
家族的雰囲気が強い職場では、上司・部下の関係があいまいでハラスメントが起きやすい傾向も指摘されています。先代経営者が長年築いてきた職場風土が、現代のコンプライアンス意識とズレていることも。 - 社労士のアドバイス
- パワハラ防止法に基づく社内研修や相談窓口の設置など、企業規模に応じた対策を行う。
- トップダウンで「ハラスメントは許されない」というメッセージを発信し、従業員の安心感を醸成。

5. 承継後も円滑な組織運営を行うための人材戦略
無事に経営トップが交代した後も、組織のメンテナンスは継続的に行う必要があります。ここでは、承継後のステップとして重要な人材戦略を3つ挙げます。
5-1. 組織構造の再設計とキャリアパスの整備
- 新体制に合わせた部門再編
後継者が打ち出す新戦略によっては、既存の部門構造や役職制度が合わない可能性があります。組織図を見直しながら、各部署に求める役割を再定義することで、社員が「今後の仕事の方向性」を理解しやすくなります。 - キャリアパスの透明化
長らく家業として運営してきた企業では、昇進や職位が「先代経営者の一存」で決まっていた場合も少なくありません。承継後は、業績評価や本人の希望を考慮したキャリアパスを明文化すると、社員のモチベーション向上につながります。
5-2. 多様な働き方への対応(リモートワーク・副業など)
- コロナ禍以降、リモートワークや時短勤務が一般化
製造業や小売業など、家業の業態によってはフルリモートが難しい面もあるでしょう。しかし一部の職務(総務・経理・設計・開発など)では在宅勤務を導入できる可能性があります。 - 副業容認やWワークに関する就業規則
人材確保が難しい時代、優秀な人材を引きつけるためには副業を認める選択も検討すべきです。その際、社労士と相談しながら就業規則に副業の条件や範囲を明確に定め、労働時間管理や社会保険手続きの齟齬を防ぎましょう。
5-3. 評価・賃金制度のアップデート
- 定期的な制度見直し
せっかく承継時に制度を作り直しても、そのまま5年10年放置すると外部環境とズレが生じます。 - 社労士や人事コンサルとの連携
市場相場に比べて大きく遅れている賃金テーブルや、不公平感のある評価基準は、人材流出の要因となります。定期的に社労士とヒアリングや分析を行い、より良い制度設計を追求していくことが大切です。
6. 家業承継における社労士活用の具体例
ここでは、社労士をどのように利用すると効果的か、よくあるケースをいくつか示します。
- 顧問契約
- 毎月定額の顧問料を支払い、労務相談・社会保険手続き・就業規則作成などを総合的に依頼する。
- 後継者が経営に集中しやすくなる利点がある。
- スポット相談・書類作成依頼
- 承継時期の就業規則改定や、トラブル発生時の緊急相談など、必要に応じた単発契約。
- リスクや課題が明確になっている場合、費用を抑えつつ特定業務だけ依頼する方法も有効。
- 人事評価制度構築プロジェクト
- 後継者が主導し、社労士+人事コンサル+社内幹部でチームを作って評価制度を刷新。
- 親族経営の色合いを薄めて、従業員全員がやりがいを感じられる仕組みを目指す。
- 助成金・補助金の活用サポート
- 厚生労働省系の助成金(キャリアアップ助成金、職場定着支援など)や、事業再構築補助金などを活用する際、社労士が書類作成や要件確認を行い、手間を大幅に削減できる。
7. まとめ:労務管理の安定が家業の未来を拓く
家業承継は、経営権や資本を親から子へ継ぐだけの問題ではありません。実際には企業の文化や従業員との関係性など、人間的な要素が大部分を占めています。労務管理が不十分なまま後継者にバトンタッチすると、後継者自身が「人事・労務」という重責を負いきれず、組織内の不満やトラブルが一気に噴出するリスクがあります。
社労士は、こうした人事・労務面の安定を下支えする重要なパートナーです。就業規則や社会保険手続きといった“書類仕事”だけでなく、従業員とのコミュニケーションや評価制度改革、トラブル予防策まで幅広い領域で助言を行い、家業ならではの課題を解決に導く力があります。
また、労働法規や社会保険制度は頻繁に改正されており、後継者が1人で全部を追うのは現実的に困難です。そこで社労士の専門知識を頼ることで、最新の法令対応と企業の成長戦略を両立しやすくなるでしょう。
“ヒト”こそが企業の最大の資産とよく言われます。まさにその通りで、後継者がビジョンを持って組織を成長させたいなら、労務管理の安定は欠かせない土台となります。家業承継に取り組むすべての方々にとって、社労士の活用は大きなアドバンテージになるはずです。
8. 参考情報・ソース
- 中小企業庁
- 『事業承継ガイドライン』
- 『中小企業白書2022年版』
- 厚生労働省
- 各種助成金や雇用保険適用拡大に関するパンフレット
- 「同一労働同一賃金」「働き方改革関連法」関連資料
- 日本社会保険労務士会連合会
- 労務管理に関する手引き、事例集
- 社労士検索データベース
- 地方銀行・商工会議所等
- 事業承継支援事例、経営者向けセミナー資料
- 各種労務管理の研究論文・専門書
- 『事例で学ぶ就業規則と労使トラブル』(日本法令) など
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