私の家業承継――惣領として紡ぐ再生への軌跡

こんにちは。一般社団法人家業承継協会 理事の川口 菜旺子です。このコラムでは、私が実際に体験してきた家業承継のリアルについてお話しします。

私は祖父が1927年に創業した「シュウ・カワグチ」を三代目として引き継ぎ、現在に至るまで経営を続けてきました。祖父が一代目、父が二代目、そして私が三代目という形です。幼い頃から父に「お前が惣領(そうりょう)なんだ。後を継ぐんだぞ」と言われ続けて育った私は、女であっても家を継ぐのが当たり前だと思ってきました。しかし、実際の事業承継はまさに波乱万丈。父が急逝したことで大きな負債を背負うことになり、経理担当者の横領まで発覚し、いったんは「もう無理では」と思ったほどです。

それでも、先祖代々続いてきた家業を守り、次の世代へと繋げるために必死に踏ん張ってきました。ここでは、私が実際に体験した家業承継の道のりを、できるだけ率直にお伝えしようと思います。今まさに「どう継ぐか」「誰が継ぐか」で悩んでいる方のヒントになれば幸いです。

目次

第一章 祖父が創業した「シュウ・カワグチ」

私の祖父は、1927年に株式会社シュウ・カワグチを創業しました。薬科大学に通う大学生だったときに病を患い、家でできる仕事をしたくて仕立て職人に弟子入りしたそうです。そこで技術を身につけ、仕立屋を始めたことが「シュウ・カワグチ」の始まりでした。
昭和初期という時代背景もあり、まだ珍しかったオーダーメイドの紳士服を地域の方々に提供する事業は徐々に軌道に乗り始めます。

その後、祖父からバトンを受け継いだのが私の父です。父は服飾関連をメインに据えながらも、時代の流れや景気に乗って事業を幅広く拡大しました。婦人服の販売、果物屋やフルーツパーラーなどを手がける一方で、家具なども取り扱い、月賦販売まで取り入れました。高度経済成長からバブルへと向かう勢いのある時代も手伝ってか、父の手腕は「チャレンジ精神がすごい」と称えられていたようです。

第二章 「最終的には私がこの家の経営を引き継ぐ」

そんな父から、私は幼い頃から「惣領だから、お前が継ぐんだ」と言われ続けて育ちました。女であっても「家系を守る惣領」として扱われたことで、抵抗感よりも「いずれ自分が継ぐのが当たり前」という意識が根付いていたと思います。

大学を卒業後、あえて外の企業で働く道を選びましたが、そして数年後、実家の会社に戻りました。いずれ継ぐので、早いうちから父のもとで仕事をしておいたほうがいいと考えたのです。実際、父とともに現場を学び、テナント管理や資金繰りのことも少しずつ知るようになりました。しかし、その頃は「具体的に私にバトンが来るのは、まだ先だろう」という甘い想定をしていたのも事実です。

第三章 父の急逝――12億円の負債がのしかかる

想定は突然覆されました。父が病に倒れ、わずか半年ほどの闘病で亡くなったのです。私が40代半ばになったばかりの頃でした。
「いよいよ自分が継ぐことになった」という気持ちと不安が入り混じりましたが、幼い頃から「惣領」と言われ続けていたことが功を奏したのか、“逃げる”という選択肢はまったく浮かびませんでした。

ところが、会社を引き継いでみると、ビル建設費用などの融資残債が6億円もあり、加えて滞納していた税金や社会保険料などを合計すると12億円ほどの負債を抱えていたのです。銀行からは「返済ができないなら競売にかけるしかない」と迫られ、一気に崖っぷちに立たされました。さらに蓋を開けてみると、父が信頼しきっていた経理担当者の横領が発覚。不明な用途に会社の資金を流用したうえ、マンションを2軒借りていた事実まで判明しました。まさかこんなことになっているとは思わず、私はただただ茫然とするばかりでした。

第四章 再建への模索と「家族との対話」

莫大な負債を前に、私は一瞬「やはり無理かもしれない」と思いました。それでも、祖父と父の代から培ってきたお客様や地域とのご縁を考えると、そう簡単には投げ出せません。親戚や知人を頼ってお金をかき集め、闇金業者に回っていた手形を買い戻し、銀行とも必死に交渉して、少しずつ返済スケジュールを立て直していきました。

ところが、税理士や弁護士を探す段階でも苦労は絶えません。父が生前に付き合っていた税理士や経理担当者との間に不正疑惑があり、信用できる専門家を見つけるまで相当な時間と労力を要しました。その間、私は借金と経営を何とかしのぐだけで精一杯。息子たちに「家業をどうしていくのか」など、じっくり話す余裕はありませんでした。

第五章 大きく動き始めたきっかけ――第三者の介入

物事が大きく動いたのは、日本家業承継協会の応援団長・竹口晋平さんとの出会いでした。ある交流会で竹口さんとお会いし、自分の置かれた状況――大きな負債や横領問題、そして息子たちとの承継問題――を打ち明けたところ、竹口さんは「息子さんに正面切って“継ぐ気があるのか”を聞きましょう」と提案してくださったのです。

第三者、それも同じく後継者の経験を持ち、しかもアパレル出身の竹口さんが間に入ったことで、私と息子たちの関係は一気に変わりました。私は父から受け継いだビルを絶対に守らなければ、と思い込んでいましたが、息子たちは「ビルにそこまで執着はない。むしろ売却して借金を一気に返済し、会社をクリーンな状態にしてほしい」とはっきり言ったのです。
私にとっては目から鱗のような意見でした。そこで不動産屋を探し、ビル売却を模索。途中で怪しげなブローカーに接触されることもありましたが、竹口さんの公平な判断を支えに取引先を厳選し、無事売却をまとめることができました。そして、一気に借金を完済。こうしてクリーンな状態で、息子たちに家業を引き継ぐ準備が整ったのです。

第六章 家業承継は「ゴール」ではなく「スタート」

ビルを売却し、多額の借金を完済するという決断は、第三者の存在がなければできなかったかもしれません。父が守り受け継がれてきた不動産を手放すのは、私にとっては大きな抵抗がありました。しかし、次世代の視点から見れば「このまま借金を抱え続ける方が大きなリスクではないか」という考え方もあり、まさにそこに思い至った瞬間でした。

承継はゴールではなく、むしろ新たなスタートです。私の場合は、父の死後ほとんど準備がない状態でいきなりバトンを受け取り、莫大な負債や不正問題に追われました。もし父が元気なうちから家業の全貌をオープンにし、相続や承継の話を進めていれば、こんな苦労はしなかったかもしれません。逆に、今まさに「うちはまだ大丈夫」と思っている方ほど、早めの対策が必要だと強調したいです。

第七章 専門家ネットワークと“家業承継”の真価

事業承継というと、まず数字の話や相続税、株式の移転などが焦点になりがちです。私自身、父が亡くなった後の混乱で痛感しましたが、税理士や弁護士のサポートを得ても「財務の再建」ばかりに目が向いてしまい、なかなか「家族同士の承継」にまで踏み込む人は多くありません。
経営再建を手伝ってくれる専門家の方の多くは、「いかに借金を整理して会社を再生させるか」「どう売上を伸ばして経営を安定させるか」という、いわゆるビジネス面を中心に考えてくださいます。それはもちろん必要なことですが、“家業”としての同族経営では、血縁・家族のコミュニケーションこそ最大の鍵になります。

私が助けられたのは、やはり信頼できる第三者が複数いてくれたことでした。竹口さんをはじめ、金融機関の担当者、横領問題でずっと相談に乗ってくださった警察の方など。たとえば、不動産売却の際に怪しい業者から甘い言葉をかけられても、冷静に見極められる知識や視点を持った方々が周囲にいてくれたからこそ、私は正しい選択ができました。
「家族だけで何とかしよう」と思い込まず、外の力を借りる。まわりには思った以上に専門家や支援団体、同じ悩みを抱える経営者のコミュニティがあります。私がもっと早くそうしたネットワークと繋がれていたら、12億円の負債に追われたあの苦労はもう少し軽減できたはずです。

第八章 惣領として、そして次世代を見据えて

私が今痛感しているのは、「日本の中小企業を守るのは、最終的には人と人との絆」だということです。国全体で見ると、大企業が注目を浴びがちですが、実際には99.7%が中小企業だといわれ、その多くが同族経営や地域密着型の小規模事業です。私の家もまさにその一例。もしも私が「もう無理」と諦めていれば、祖父の代から築いてきたお客様や地域の信頼は一気に崩れていたでしょう。それが雇用や地域コミュニティにも影響を与えると考えると、たとえ小さい会社でも残していく意義は大いにあると感じます。

そして最近では、竹口さんと一緒に家業承継や事業継承をサポートするための団体「一般社団法人家業承継協会」を作りました。税金や法律のこと、金融機関との向き合い方など、知らないままでは大きなリスクとなり得る問題がたくさんあります。私のように突然家業を継ぐことになり、苦労を重ねる人が少しでも減るように、団体を通じて情報提供やアドバイスをしていきたいと思っています。

惣領という立場で苦労してきた私だからこそ、次世代を見据えて「何をどう整理し、どのようにバトンを渡すのか」を伝えられるのではないでしょうか。家業を存続させるだけでなく、時代に合わせて進化させていくことも大事。新しい発想を持った後継者や、家族を上手に巻き込みながら、これからの日本の中小企業をより良くしていきたいと考えています。

第九章 これから承継に臨む方々へ

ここまでお話ししてきたように、家業承継は単に「事業を子どもに引き継ぐ」だけではありません。負債や相続、経理の不正といった現実的な問題に加え、家族同士のコミュニケーション不足、情報共有の遅れなど、さまざまな要素が重なることで深刻な事態に陥りやすいものです。私自身、父の急逝をきっかけに想定外の危機に直面し、幾度も「もう無理かもしれない」と思いました。それでも、信頼できる第三者や専門家の力を借りつつ、家族との対話を重ねることで、ようやく事業の再建と次世代へのバトンタッチへ向けて動き出せたのです。

その体験を踏まえて、これから家業承継に臨む方々に私が特にお伝えしたいポイントを5つ挙げます。あくまで一例ではありますが、どれも私自身が「もっと早くわかっていれば、こんなに大変にならなかったのに」と痛感したことばかりです。

  1. 元気なうちに できるだけ多くを伝えておく
    「何でも知っているのは自分だけ」という状態は大変危険です。私の場合も、父が急に亡くなったことで、銀行との融資条件や融資残高、経理担当者との関係など、把握していないことだらけでした。家族が元気なうちに、仕事のノウハウや経営判断の背景、重要書類の在りかなどを後継者と共有しておくと、大きなトラブルを回避しやすくなります。
  2. 事業の現状を数値で詳らかにする
    借入金や返済計画、税金・社会保険料の支払い状況、そして売上やコスト構造など――後継者が事業を維持・発展させるためには、まず“数字”を正確に知らなければなりません。私も父の死後、銀行から「競売にかける」と迫られて、ようやく負債総額や滞納状況に気づくありさまでした。数字が苦手なら、信頼できる財務の専門家を早めにつけることを強くお勧めします。
  3. 一代だけにとどまらず、その先の未来も視野に入れる
    今の代で少しでも業績を伸ばせばいい、という短期的な考えだけでは、せっかくの承継がうまく機能しない場合があります。次の代、そのさらに次の代という長期的な展望を考えると、承継のタイミングで組織の再編や新規事業への展開を検討する余地も出てきます。長く続いている家業だからこそ、固定観念に縛られすぎず、新しい取り組みを試すチャンスにしてください。
  4. 公平な第三者に関わってもらう
    私の転機は、まさに第三者、しかも同じ後継者の立場を経験してきた人と出会えたことでした。家族だけではどうしても「言った・言わない」のすれ違いが起きたり、本音を言いづらかったりします。外部の公平な視点を入れることで、一気にコミュニケーションが円滑になることも多いのです。特に、大切な不動産や負債の処理など大きな意思決定には、専門家や支援団体の協力が心強い味方になります。
  5. 承継後のサードキャリアを考えておく
    意外と見落とされがちなのが「後継者に任せた後、自分は何をするのか」という点です。もし早めに承継が完了したなら、そこで“役割の終わり”ではなく、新たな人生の出発が待っています。私も今後は次の目標や夢を描きながら、息子たちのためにサポートできる体制を整えたいと思っています。サードキャリアを視野に入れることで、承継の時期やプロセスの計画がより明確になり、スムーズなバトンタッチにつながるはずです。

第十章 おわりに

こうして振り返ると、私の家業承継はまだ道半ばです。ビルを売却して借金を完済し、ようやく整えたクリーンな状態で、息子たちが“次の経営者”としての視点やスキルを培えるよう、一緒に学びを深めています。
もし私が“惣領”という自覚を捨て、外部にも頼らず一人で悩んでいたら、きっと会社ごと消えていたかもしれません。幸いにも、家族や親戚、信頼できる専門家、そして何より第三者として介入してくれた竹口さんとの出会いのおかげで、事業承継への道を切り拓くことができました。

私自身、まだ成長していかなければならない部分は多々あります。それでも、祖父と父が築いた事業や信用を未来に繋いでいく可能性が生まれたという点で、承継は大きな一歩を踏み出したばかりだと感じています。
家業を守ることはゴールではなく、“次の時代を作る”ためのスタート。これからも、私に続く方々が少しでも早く「承継の準備」を始められるように、そして悩んでいる方がいれば力になれるように、家業承継のリアルな体験を伝え続けたいと思います。

もし、同じように家業をどうするか悩んでいる方がこの文章を読んでいるなら――一人で抱え込まず、まずは動き出してください。家族との対話、専門家や支援団体との連携。それはきっと、未来の“惣領”を育て、家業を次のステージへと導く最善策になると信じています。

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